東北地方太平洋沖地震現地Report! 宮城県の南三陸町におけるイスラエル軍医療部隊について
ジャーナリスト 村上和巳

2011.05.02

 マグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波により、東北地方を中心に未曽有の被害をもたらした東北地方太平洋沖地震。
 この被害により自治体内の医療体制が崩壊したのが宮城県の南三陸町だ。
 この同町に医療支援として中東のイスラエルから軍医療部隊が派遣された。その模様を報告する。

イスラエル国旗がはためく仮設診療所の入り口
仮設診療所敷地内。診療科ごとに分かれたプレハブが6棟並んでいる
仮設診療所入り口では放射線チェックが行われる
仮設診療所にもかかわらずX線検査はフィルムレス化が行われていた
内科診察室でディスカッション中の医師たち
小児科診察室では子供が喜びそうなおもちゃを数多く並べるなどの配慮も
診療所内に設けられた簡易CCU
顕微鏡、遠心分離機などが並ぶ臨床検査室内
診療所敷地内のごみ集積所に置かれた医療廃棄物の袋
目立つようにするためか、袋の色はショッキングピンク
 南三陸町は本吉郡の志津川町と歌津町が05年に合併して成立し、被災前の2011年2月末時点の人口は1万7,666人。4月30日現在、死者503人、避難者約8,000人。これ以外に4月11日時点での行方不明者632人と壊滅的被害を受けた。
 同町は中核病院の公立志津川病院(126床)を筆頭にほか町内に6診療所があったが、今回の地震と津波でこれら全てが被災。鉄筋コンクリート5階建ての公立志津川病院は4階まで津波で浸水した。
 これに加え、震災当初から数週間、現地では緊急車両であってもガソリンの入手が困難になったため、患者自身が町外の医療機関へ赴くこともままならず、各地からの災害派遣医療チーム(DMAT)も活動に支障をきたす事態となった。
 こうした状況の改善のため、イスラエルに渡航経験がある宮城県栗原市の佐藤勇栗原市長の仲介で今回のイスラエル軍医療部隊の派遣が実現した。派遣された医療部隊は、イスラエル国防軍(IDF)の軍属と予備役から構成される医師14人、看護師7人、検査技師・薬剤師などの医療従事者9人、その他のロジスティック要員など総勢約60人で構成された混成部隊だ。
 3月26日にイスラエル南部のネバティム空軍基地を出発、27日に成田空港入り。派遣に当たって先遣隊が日本入りし、現地のニーズを聴取。これに基づき防寒着1万着や毛布6,000枚、手袋約8,300組、携帯トイレ150セットなどを提供している。
 診療機材は成田から現地まで民間業者が輸送し、日本で調達した6棟のプレハブを南三陸町の志津川ベイサイドアリーナ駐車場の一角に設置し、29日から診療を開始、4月11日までに活動を終了した。

 ベイサイドアリーナの仮設診療所では、入口受付テントで被災者以外のメディア関係者などが訪れると、担当者から「10日以内に福島に行かれましたか?」と尋ねられる。
 その後、放射線測定器で入場者の頭部、頸部、靴底などの放射線量を測定する。測定値が35マイクロシーベルト以上だと入場を制限されるという。
 南三陸町では、医療機関は壊滅状態だったとはいえ、医師をはじめとする各施設のスタッフは多くが無事だったこともあり、これらで構成される南三陸町医療統轄本部が設置されていた。このため、イスラエル軍医療部隊による診療は、同本部が要検査などと判断した紹介患者に限定されている。
 紹介患者は仮設診療所の受付で症状など聴取後、患者氏名、年齢などが記されたバーコード付きのリストバンドを着用させられ、各診療科を受診することになる。
 診療科は内科、小児科、眼科、耳鼻科、泌尿器科、整形外科、産婦人科があり、この他に冠状動脈疾患管理室(CCU)、薬局、X線撮影室、臨床検査室を併設する。
 バーコード付きリストバンドからも分かるように患者情報は、電子情報として管理されている。各科の医師は1人1台ノートPCを保有しており、これで患者情報を参照できる。
 併設されているX線撮影室では、DYNARAD HF-110AポータブルX線システムを使用し、完全なフィルムレス化が実行されている、各医師はそれぞれの診療科にあるノートPCで患者のX線画像が参照可能。ビューワーはDICOMビューアのフリーウェア「K-PACS」を使用している。また、臨床検査室では血液や尿の生化学的検査も実施。これらのデータもPCで管理されている。
 日本国内の災害医療支援隊(DMAT)による救護所などとは比べれば、派遣人数、装備などは大規模だが、今回の部隊の一員で2010年1月に発生した中米ハイチの地震で救援活動にも参加したことがあるというナザロフ・サルゲイ看護師によると、「ハイチでは全診療科がそろった野外病院を設置し、スタッフ総勢は200人ほどだった」と明かす。
 今回、同部隊は4月11日までの約2週間で約200人を診察。在日イスラエル大使館の担当者によると、「開設した時点では地震発生から2週間以上経過しており、もう少し早い時期に展開していれば患者数はかなり多いものになっていただろう」とのこと。ちなみに今回の派遣打診の際の日本政府側の反応は「完全に自己完結による支援体制ならばお願いしたい」というもので、宿泊先となった栗原市にロジスティック拠点を設けて独自に対応したという。

 診療科別で患者数が多かったのは内科、眼科。内科は各診療科の中でも最も多い4人の医師を配置した。
 内科担当のシャイ・ピンドブ医師によると、「診察した患者さんは、基本的に慢性疾患が中心で、心疾患、呼吸器疾患、肺疾患など多岐にわたっています。感染症の患者さんもいましたが、思ったほどは多くありませんでした」という。
 そのうえで「非常に興味深い症例を経験した」と語るピントブ医師。「肺の異常を訴えた症例でしたが、X線写真では通常の肺疾患では経験したことのない、何らかの塊のようなものが肺野に映っていました。この診療所での処置は難しいと判断し、栗原市の病院に後送しました」
 今回の震災では、津波に巻き込まれながらも生還した人の中でヘドロや重油の混じった海水を飲んでしまい、これが原因の肺炎などが実際に報告されている。ピントブ医師が経験したこの症例は、そうした類のものだった可能性がある。
 ところでピントブ医師は、旧富山医科薬科大学に留学した経験があり、同大学副学長、千葉大学和漢診療学講座教授を歴任した現・日本東洋医学会の寺澤捷年会長のもとで東洋医学んだこともある異色の経歴の持ち主。東洋医学の診療はやっているのかと尋ねたところ、「さすがに患者さんにはしていませんが、部隊の同僚などには鍼治療行っています」とのことだった。
 一方、診察患者は約20人と診療実績の1割に過ぎないものの、貴重な存在だったのが超音波装置なども完備した産婦人科。というのも、震災以前の志津川病院では、医師不足から産婦人科を閉鎖、妊婦は町外の病院への診察を余儀なくされ、さらに震災の影響でそれすらもままならなくなっていたからだ。同科ではフィリップス社製の分娩監視装置Avalon FM20なども備えている。
 往診などにも同行し、地元の妊婦の対応に当たった助産師のイリス・ペドラックさんは「あれだけの津波被害を経験しながら、ほとんどの妊婦が感情的には落ち着いているのに驚きました」と語る。もっとも4月7日にマグニチュード7クラスの余震後、往診した妊婦の1人が診療所に駆け込んできた。
 「余震による津波警報で慌てて避難しようとした際、誤って転んでしまい、胎児の状態を心配して診療所を訪れていました。胎児に問題がないと確認された瞬間、彼女は泣き崩れてしまいました」(ペドラックさん)
 
 また、今回約400品目もの薬剤を持参したという薬局だが、薬事法上の問題もあったのか、南三陸町医療統轄本部の指示で、医療用医薬品の処方は1週間で中止した。これはそもそも日本の医師法では国内での医師免許取得者による診察しか許可しておらず、今回のイスラエル軍医療部隊による診療行為事態が例外だったことなども影響していると見られる。
 薬剤師のヴァレリー・ザルツベルグさんは「持参した薬剤は錠剤で約2,000錠、2ヶ月分の診療を想定しました。抗生物質は第2世代ペニシリンやセフェム系、ニューキノロン系も含めてほぼ全種類を持ってきたのはもちろんのこと、経口糖尿病治療薬、降圧薬などの慢性疾患治療薬、モルヒネなども有しています」と説明する。
 ザルツベルグさんによると、イスラエル軍では様々な現場診療に応じた緊急医薬品パッケージが用意されているという。
 「なかにはアフリカなど希少な感染症が多い地域を想定した薬剤パッケージもあります」(ザルツベルグさん)
 ただし、今回の南三陸町での診療では、派遣時期から骨折や創傷などのような自然災害発生当初に多い疾患よりも、医療環境の崩壊により慢性疾患管理が不十分になっている患者が多いと考えられる場合には、薬剤師が独自に携行薬剤の選定に当たるという。
 診療当初最も多く処方されたのは糖尿病治療のペン型インスリン製剤で、そのほとんどが被災により保有していたインスリン製剤を失くした糖尿病患者だった。
 ちなみにイスラエルと言えば、世界トップのジェネリックメーカ・テバの本拠地だが、今回持参した医薬品でのジェネリック品採用状況について尋ねると、「インスリンなどの生物製剤や高脂血症治療薬・クレストールや降圧薬・ノルバスクなど、イスラエルではまだでは特許が有効な薬剤を除けば、基本的にジェネリック品ですよ。特に問題はないですね」(ザルツベルグさん)とのこと。 
 医療部隊の隊員からは「患者よりメディア関係者の訪問が多かった」とも皮肉された。今回の医療支援は4月11日に終了。器材の多くが南三陸町に寄付され、公立志津川病院のスタッフが引き継いで診療が行われている。
 

ジャーナリスト 村上和巳

村上氏のHP:http://www.k-murakami.com/#